招魂寺

戦争の戦没者が唯一彫られる場所

招魂寺の歴史

招魂寺は、ある神社の神様道の横辺りに建てられたものを、昭和三九年に、右の図の位置に移転させました。 神社の右奥に招魂碑が建てられています。その石碑の正面には、ある経済学者の題字が彫られています。 逆に石碑の背面には、樫立地域関係の約百名の軍人・軍属の氏名が連記されております。 八丈島の軍人・軍属の戦没者は五百数十人だそうで、樫立地域は南方への、入植者なども、多かったため、これだけ多くの戦没者が出たのかもしれなません。◇浅沼由太郎忠魂碑 日清戦争の時の戦死者の碑 ◇奥山常喜君忠魂碑 日露戦争の時の戦死者の碑 ◇日清露戦役紀念碑 日清・日露の戦役参加者の慰労碑◇沖山玉一君忠魂碑 第一次世界大戦の戦死者の碑  ◇慰霊碑 十五年戦争の戦死者 の霊碑があります。 ちなみに、伊豆諸島や小笠原諸島、マリアナ諸島は日・米軍がしのぎを削って戦った防衛ラインであったから、多くの犠牲者が出ています。

招魂写真

鳥居

招魂寺の鳥居。 赤ではなく白を使っている。もともと鳥居といういうものは白を使っていたのですが、仏教から魔除けとして赤を使っていました。なぜ赤くないのかはわかりません。    

石碑

招魂寺の石碑。何百人の戦没者が連記されている。この数で戦争の悲惨さが伝わってくる。この場所以外にも石碑はたくさんある。  八丈島に住んでいる色んな人のご先祖様かもしれませんね。       

招魂寺に行く道。右にある白い鳥居が招魂寺の場所。奥は三島神社になっている。三島神社のサイトもありますので ぜひ、見てください。お願いします。

招魂クイズ

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