ヴィクトリア号が残した謎な鐘
1864年、幕末に日本は欧米に追いつこうと英国からヴィクトリア号を買い取りました。 しかし、その年の11月4日に八丈島藍ヶ江港沖で沈没してしまいました。 この鐘はその際に引き上げられたものです。「沈没したヴィクトリア号に乗って いた人は助かったのか」「なぜ八丈島で沈没したのか」などの細かい情報は分かっ ていませんが200年ほど前の鐘が現代にまで残っていることを考えるとすごく神秘的で 貴重だと感じます。この鐘は大御堂と呼ばれる、仏教寺院に飾られていて見学が可能です。すごく間近で見ることが可能なので鐘に掘られた模様や文字も観ることができます。英国の鐘なので英語が掘られていて模様も独特です。
ヴィクトリア銘洋鐘がある大御堂の敷地内には、「餓死者冥福の碑」というものがあります。明治23年に八丈島中之郷地域が食糧不足になりました。それにより733人が餓死し、生き残ったのは400名足らずだったそうです。この時代の八丈島では流人(流罪の刑になったもの。八丈島では優秀な武士やその幹部が送られてきていた)が多く送り込まれ、食糧不足に悩まされていました。また台風の通り道になっていたことから凶作になる年もありました。そのため、この時期のは中之郷地域だけではなく、八丈島の他の地域でも同じような気ががあったそうです。このような悲しい飢餓を追悼してこの碑が造られました。
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